忙しい年だつた。いろいろなことに卷き込まれ、その甲斐無く人間的成長はできずに終わつた。
いつの間にかに年が明けていた。何ぞロマンチックなことあれ。もう我輩にとって2001年は12月26日で終わっていた。ルートビッヒを聞いたらそれでその年は終わり。終わり。
imodeで我輩の日記が公開されているというサイトを見た。そしてそこの書評の目次ではtableタグが無視され乱雑に並んでいた。ドコモのtableタグ廃絶計画だ。なぜcgi関連のタグは生かすのに基本のtableタグを殺すんだドコモさん。そんなん間違ってるよレオ○ールさん。という気分に新年早々なってしまった。
73ページで偶然ウェルテルさんに遭った。彼はやっぱり危なくなっていた。ロッテは何でぶちぎれないのだろうか。
我が輩はとうとう大発見をした。それは「分子は熱を加えると分裂する。」ということである。まず高分子これは熱を加えると軟化し、その後気体にはならずに分裂する。次に気体分子これは加熱するとプラズマ状になり分子は分裂した状態になる。何、「反乱分子は分裂しないじゃないかって。」では反乱分子をまとめて加熱するとどうなるか実験してみよう。反乱分子二人を用意して火に焙ると「俺はこいつにだまされたんだ、俺の意志じゃなかったんだ」。「何をいっているんだ。おいしい話があると持ちかけたのはそっちの方じゃないか。」ほら分裂した。
車でお金という看板を見つけた。なんとなく
ブローカー:にいちゃんこの車で人轢いてくれない。何、普通に走ってればいいんだよ。俺がその人が飛び出したと証言するからさ。ただ走ってくれればいいんだよ。こっちのほうははずむからさ。
売り手:えっ、本当ですか。ただ走っていればいいんですか。
恐るべき陰謀だ!!
ふと思ったがTOのワードオブペインは敵リーダーには効かない。やはり敵のリーダは人の痛みに対して鈍感なのだろうか。
とつぜんXPが起動しなくなる。レジストリのバックアップを重ねても効果なし。起動途中でハードディスクの電源が切られ、Unkown hard errorとでた。何もハードを変えていないのに。
憤慨してフォーマット後再インストール。ユーザー認証。ユーザ認証の規定回数を超えましたとの通知。は?そんなこと使用契約書には書いていないはずだが?
そしてOEM番であるからカスタマーサポートは得られない。μソフトのやり方は実に汚い。我が輩は断腸の思いでMe回帰した。
Meはふざけていた。遅い起動。不安定な動作。仮想フロッピーディスクドライブの作成。バルバトスに頼んで粛正してもらおうかな。
後楽園駅の東京ドーム側出口のそばに地下駐車場にある。我が輩はそこを通るときに奇妙な音を感じる。ものすごい高い高周波が聞こえるのだ。だが主以外の通行人はそれに気づいた様子もない。
別にザンを我が輩にかけてくる輩がいるといっていない。きっとあの地下駐車場にはくたびれた守衛の親父以外に何か生き物がいるはずなのだ。もしかすると守衛の親父がそれを飼っているのかもしれない。
我が輩に聞こえてほかの人間に聞こえない音といえばおそらく16000〜20000[Hz]ぐらいの音であろう。そんな音を出す必要がある生物の条件を考えてみる。おそらく視覚的情報に頼れない環境に生きる生物(つまり光の届かないところ)が音波を出すことによって自分の周囲の状況を見極めているのであろう。
音波は高周波であるほど指向性がでてくる。(つまり共鳴条件が厳しい。-ちゃんと計算したり考えたわけではないから間違っているかもしれない。-)理にかなっている。
ではいったいどういった生物なのであろうか。有名なところではコウモリなどが高周波を出す、ほかにも水生生物がそれを出すが後楽園地下駐車場にそんなものがすんでいるとは考えづらい。
もしかするとネズミかもしれない。ネズミは高周波を厭がるとされている。(ネズミよけ装置とかに仕組まれているからきっとそうに違いない。)その厭がる理由として実はネズミは高周波を出して仲間と連絡を取れるのではないのか?
ネズミが特定の高周波を厭がるのはきっとその危機を知らせる信号であるからである。
結論:後楽園の地下にはやみくろネズミがいる。
念願の夏休みが始まった。夏休みにしようと思っていたことがたくさんあつたので、あれこれ手をつけ始めたが、あまりに多すぎて自分で混乱してしまつた。
あれほどこれやつて、これやつてといふ計画があつたのに夏休みになつたとたんそれをする気が失せるのが不思議である。
とりあえず聞きたかつたCD(jupiter、8823)を聞き天体観測、放浪カモメ、8823を歌ふ。天体観測を聞いた時点で何となく全力で走りたくなり、ちゃりに飛び乗り、全力疾走する。
適当に走っていたので道は覚えてゐないが、たぶん言問い通りを鶯谷近辺から浅草へそこから左に曲がり竜泉へ竜泉から適当に走り、日光街道へそこから家に帰つた。
最近は全然全力で物事をやると言ふことがなかつたやうな気がする。何といふかつぶれたらまずひといふ恐怖感に疲れて、つぶれるどころか全力モードにすらならなかつたやうな気がする。
主は半年ぐらい前にある友達に「つぶれるのがわかつていても全開でやらずにおまえはいられるのか。」といったような気がする。こんなことを言つておきながら全開モードにすらならなかつた自分を情けなく思ふ。
さいわい今は夏休みである。今ここで宣言する。主は全力モードでつぶれまくる夏休みを送る。
国会図書館に行きカバラと子供の夢を讀む。カバラにつひて調べるときはどうやら原典に当たつた方が良ささうだといふことが分かる。
子供の夢はその題名に反して拡充法を取り扱つた物であることが判明。プロセス思考心理学はまさしくユングの流れを次いでいることを再確認。又主は教養として心理学を学んでゐるので方法論まで立ち入るのはまづいのではないかと思つたが、(方法論を知ると実践してみたくなる誘惑に駆られるから)好奇心には勝てず讀み始めた。
が、やはり方法論を素人が知ることはあまり良くないやうである。日本語版序文に河合隼雄氏のこんな意味の文が乗載つてゐた。氏が若い頃はこの本は一般に公開されてゐなく、彼がそれを讀む資格を得てからうきうきして図書館に借りに行つたといふ。そして心理学に対する理解の少ない社会では一般に讀まれるべきではないといふことと、セミナーの記録である上に夢の解釈をしてゐるので短絡的なとらえ方をされるとその弊害は計り知れないとゐうこと。
結局途中まで讀んだ。
今日は江戸川花火大会を見に行く予定だつたのだが、無理矢理バイトに入らされる。「だうせ飲んでんだろおまえら!」と辺り構はず怒鳴り散らしたい気分。
これで3年連続花火を見てゐない。「明日は入れるかな」否、否、否、三度否!主悲哀不可避いいさいいさ、どうせ運命線が発達しすぎている人間はろくでもないのさ。断じてさにあらず。汝、汝の命運に従う者なり。
テスター、可変ヴォリウム、鰐口クリップ、ディスポーザブルレンズを買ふ。店員の人が気に入つたので新たなコーナーとして街中の戦う人たちを書き下ろす。
統計力学の演習問題を解かうとするが解けない。ヘルツホルムの自由エネルギーは体積一定、温度一定で最小になることを証明せよ。といふ問題だ。
まずヘルツホルムの自由エネルギーの微小変化を求めて、それが条件より0であるので極値であること示した。そして平衡点のヘルツホルムの自由エネルギーがほかより低いといふことを示せばよいのだが、これがうまくいかない。
その上回答が載つていなかつた。誰か教へて。気を取り直して今度はオイラー法による放物線運動のシミュレートプログラムを作る。これは簡単にできた。表示部分はほとんど手を加えていない。MFCさまさまである。次に4次のルンゲ-カッタ法を用いて2体の惑星運動をシミュレートするプログラムを作らうとする。
どこかでdouble型からint型への自動キャストが行われているようで曲率が無限大の円運動(直線運動)になつてしまっつた。又陰鬱なデバッグ生活である。
円運動はただ初期値の入力ミスで、言ってみれば第一宇宙速度を超えてしまつていたのである。第二宇宙速度にはいつてゐたと言ふことくだらねえミスだ。ああくだらねえ。畜生俺の2時間返せ。まあいいケプラーなんて所詮チコ・ブラーエの遺族から観測結果を盗み出した盗人だ。
奴のやうに一生の成果を盗まれなかつただけいいとしよう。
CSS關係者に37の質問に対する答え。
肩が痛ひ、胃が痛ひ、関節が痛ひ、なぜだか肩の痛みが2日間もとれなかつた。訳の分からない原因で苦しむのはつらからうと言ふことで友人が「無理な姿勢で寝てたからじゃないの」と言つてくれた。有り難い。これで主の日頃の行ひが悪いからであるとか思はずに済んだ。
肩の痛みを聞いてもつまらんだらうから話は変はるが、主の日頃の行ひは悪い。これは確かである。なんの宗教の僧でも主の日頃の行ひを見ると説教したくなるだらう。幸ひなことに主は僧と話し合ふ羽目になつたことはまだない。
まだ肩が痛ひこれで三日目。プロセス思考心理学によると慢性的な痛みは当人が気づいてゐないことを気づかせようとするメッセージであるとのこと。なんか悪い事したつけなあ。
8/15に靖国へ行って大東亜で散つた英霊達に払つてもらおう。と言ふかむしろ英霊達を慰めるべき日であるやうな気がするが。といふわけで8/1511時までに東洋のワルハラ、靖国に集合。
肩の痛みはいつの間にかに消へてゐた。万歳。
ハンズにタロウカードを買いに行つた。ハンズの店員で顔は悪いけど親切な人がゐた。街中の戦う人たちに追加しようと思ふ。また主の買ったタロウカードはなんだか特殊な物だつたらしく、死神が変遷に、世界が宇宙になつてゐた。やっぱりかういふ物はデザインで買う物ではないなと再認識する。
木村貴氏のサイト地獄の箴言の全文を讀む。実に論理的である。そこに田中幸一と木村氏との論争のことがかかれてゐるが、もはや田中氏の言つてゐることは冗談にしかならない。それでも彼自身は自分が正しいと思つてゐるやうであるが、その姿は滑稽と言ふほかない。変な意味彼は貴重である。
三省堂に行き、MFCに関する本を買う。そのおかげでやつとn個の振動子のアニメーション表示ができるやうになる。高速化のためにはdirect xを使ふべきなのかもしれないがsettimerとontimerの組み合はせで十分な速度が得られた。なんだか久しぶりにCPUの高速化に感謝した。
千と千尋の神隠しを見た。これだけ伏線のはつてゐない物とは思はなかつた。伏線と言へるかだうかわからないことだが気づゐたことをあげる。まず白ハクが赤い玉を千尋に飲ますシーンと龍状態の白に千尋が川の神からもらつたにが団子を飲ませるシーンの対比。そしてゆばあば湯婆婆(湯場婆?)の姉(妹?)が糸を撚つて髪留めを作るときの科白魔法で作つても意味がないからね。
魔法はあの門をくぐると解けてしまいおそらく消へてなくなるのだらう。実在してゐることを示すため門から出ていったシーンで髪留めが残つてゐるのを強調してあった。それに関連してまた狂つた親父が車を駆つてゐるときに横に見ゑた石像。これは魔術的な意味合ひがあったのだらう。帰りのシーンでは門の前にあつたはずの石像はなくなつてゐた。つぎに、これはあまりにあからさまであったので伏線といへるかだうか分からないが、夢の中で千尋が親を見分けられなくなるシーンである。これは呪いを解くための最後の問題を予兆させてゐる。が、ここまであからさまに見せられると予測できてしまひああやつぱりとなつてしまう。まあお子さまから大人までの映画だから仕方ない。
次に背景となつてゐる設定で予測できる物をあげる。閉ざされてゐた世界から出ていくときに言はれた言葉振り返つてはいけない
は有名な言葉であるのでふれるだけで説明はしない。次に勝手に八百万の神の食べ物を食べた親は豚になった。(元から豚のやうな気もしないでもない)大乗仏教では豚は無知を表す。またその見た目からどん欲などの意味がつけられてゐる。かえるに関しては鳥獣戯画が元出であると思はれる。他にも結構いはれがありさうな物がたくさんある。だがこじつけになりさうなのでここまでとする。
ところで登場人物の中でいいあじを出してゐるのは断然釜爺である。あの手が長くて、手下のすすを操って油屋のお湯を管理している爺さんである。ただでさえいい味を出していたのにだめ押しにあのいびきとは参つた。だうせ釜爺に人気はないだらう。白ハクかつこいい。とかりんさんついていきます。などといふ奴らばかりなのだらうと思ふ。それ故聞いてみたい。釜爺が好きだという人はメールください。主が喜びます。嫌ひだという人はメール出さないでください。主は凹みます。
それにしても宮崎駿雄はどうしても自然破壊に対するメッセージを映画に詰めなくては気が済まないらしひ。なぜかといふと腐れ神らしき神から出つ張つてゐる物を引き抜くシーンでゴミと汚れを取り除いたらその神は川の神であつたといふことが判明する。これはやはり河川の汚染に課せん付箋を貼つたのだらう。
ああやっぱり物語の固有名詞にcite属性をつけるのはめんだうくさい。誰かミル○ィンさんみたひにあとわずかです・・・がんばって・・・
とかいつてくれないかなあ。
アヴァロンを觀た。二つの子供の像(假にクピト像とする)のうち一つの頭が吹き飛ばされてゐる。その像の完全型が出てくる。主が觀たところこのクピト像は3回出てきてゐる上に強調されてゐる。何を意味するのだらうか?氣になつて仕方がない。
卿の日記は坂口安吾の感性と一致する樣な氣がする。尋常本気で取らないところを本気で考へるといふ處かもしれない。
8/24の日記の一部分は無理矢理韻が踏んであることを氣付ひてくれた人はゐるのだらうか?
少年少女いや老若男女共通で、ドラマや映画の主人公やヒロインに憧れ、その人になりたひと思ふことがあるだろう。また子供の名前をそれから付ける人もゐるだらう。
だが世の中にはマニアックな人たちもゐる。その人達は主な役割を果たす人物を嫌ひ、燻銀の活躍をする、一シーンしか出てこないキャラクターに惚れ込んでしまうのだ。そしてそんな妙なところから名前を取り出して企業名やら名前やらにしてしまふ。
一例を挙げてみよう。T氏に宮武外骨(廢姓外骨、再生外骨)といふ人を紹介してもらつたのだが、彼曰くこの名前は自分で変えたさうだ。bentic氏の文章にタクティクスオーガの骨を称へる物があつた。それを讀んで我が輩も骨になりたひと思つた。彼はきつとこの物語に惚れ込んでしまつたのだ。
注:外骨氏は明治大正昭和を生き抜いた。気骨のジャーナリストであり。故人である。卿が会つたのはその僞者であらう。ちなみに本名ある。彼は一々それを疑はれるので印に本名であることを記したさうな。
エリクチュールと差異を圖書館から借りて讀む。讀む。讀む。讀めない。主には讀めない。部分的には理解できるのだが文全体としての意図するところがわからない。アトラス社のゲームで出てくるワープを多用するダンジョンなみに全体が把握できない。
アヴァロンのあの存在の重みのない映像が目に燒き附ひてはなれないやうだ。唯一それが少しあつたのはキャベツなどのみ、後半のリアルフィールドにおいてはすべてが存在の重みを取り戻してゐる。なんだか疲れてゐるのかもしれない。ついでに日記を旧かなに直した。
暗黒日記の文体が芥川龍之介の侏儒の言葉のやうになつてゐた。ほんたうに柳田國男の文章を讀んでゐるのだらうか。また主は作家に対して作品の批評をするのは好きだが私生活の批判をするのは好まない。いらぬ注釈など無視するに限る。
気ののらない日曜日主は散歩に出かけた。道のど真ん中に看板が落ちていた。をかしいと思ひながら氣にせず動物園にはいつた。
動物園ではライオンが檻の外に出て子供に風船を配つてゐた。あつさうだと思ひ毛皮のあるライオンに同情した。しばらく行くとペンギンと札が付いた檻が觀えてきた。
ペンギンとは一體だう言ふ生き物なのかを観察してゐると、魚の入った青いバケツを持ち、鈍重な動きをする生き物が出てきた。その生き物は魚が嫌ひなのかその魚をまき散らすと帰つてしまつた。
だうやらペンギンは魚が嫌ひでそこら中にぶちまけるのが好きらしい。もつと觀ていたかつたがペンギンは奥の方に行つてしまつた。
をかしい生き物が觀られて幸せな氣分に浸りながらシロクマの檻へと向かふと、ペンギンが檻の外にゐた。ペンギンが脱走した。
急いで動物園の飼育係に連絡しなくてはと思ひ、迷子の放送をするところへ行つた。そこでペンギンが逃げていることを放送した。
これで一安心と落ち着ゐた我が輩は今度は物見氣分で逃げたペンギンはだうなつたのかを觀に行つた。ペンギンが居たところへ行くと、澤山のペンギンがゐるではないか。
動物園員は何をしておるのだ。園長は何處だ。園長の居場所を突き止め其處へ行くと園長はペンギンと話をしてゐた。
シェルに関連付けされたファイルを開かせる函数が発覚した。君達は思ひ出してほしい。何のためにレジストリにアクセスして情報を得る部分を加へたのか?何のためにdos窓にまわしてまでプログラムを起動させてゐたのか?
なんだか悲しくなつてきた。涙が出るのは悲しいからではない。ハードディスクの回転音が耳に染みるのだ。
まあいい。先日の美術館でまともな考えができる人が周りにもちゃんと居る事を知ったのだ。沈んではいられん。これで起動が早くなる。そしてプログラムのサイズも小さくなる。
さういへば、美術館でアリアドネを見たあとにR.P.Gを讀んだがその中にアリアドネが出てきた。なんとなく共時性を感じた。また引用と比喩はそれでなくてはならないと言ふ時以外遣ふべきではないとも感じた。
谷崎さんやはりあなたは正しい。
ブギーポップは笑わないを見る。久しぶりにまともなアニメを見た氣分。おそらくあれは原作を讀んだ人を想定して作られてゐる。理解力、推理力のない者はあれだけ見ても砂漠に置き去りにされた氣分になるに違ひない。ところで最終話には謎が多かつた。もし死神が多重人格の内の一つの人格とすれば、主な人格である籐花はなぜあの服装を持ち歩いたのであろうか。そしてなぜテルミンを買つたのであろうか。最後に流れたマイスタージンガーは地下に置かれたテルミンが例の電磁場に反応して奏でたはずである。なぜ主人格の籐花がそれを買つたのか。謎で仕方がない。(死神が買ったのではなく籐花が買つた理由のことである。テルミンをならす動機は既に暗示されてゐる。)
とは云へ満足。最近のアニメ、ドラマは視聴者に対して親切すぎる。もっと描写は大雑把で良い。足りない部分は各自の想像力に補はすのだ。もしかすると視聴者の想像力が低下してきているのかもしれない。またはドラマ、アニメのために何かを考へたくないのかもしれない。怠惰な者に芸術を理解する權利はない。消え去れ。
システムを再インストールし直す。といふより治す。成人病化していたレジストリが生まれ変わりアプリケーションの起動が別物になった。またCite屬性のレイアウトを變へるがまたもやIEでは描画されない。セキリュティーの問題も大事だがレンダリングの問題も何とかしてほしいものである。(ちなみにOpera、MozillaではOK)
先日美術館で感じた違和感の一つが少し分かつた樣な氣がする。奴隷のいるオダリスクは完璧なる瞬間が表現されていた。つまり存在するはずがない情景を見たからだ。
自轉車のリムを價つてホイールを組む。10時間かかつた。ああなんといふ體たらく。やけくそになつて走り回ったららくちんだつた。
今日と言ふ日はホイールを組むためにあつた。
ローマ人の物語を讀む。實にローマ人はユニークな統治をしてゐた樣である。また實に眞理を穿つ引用が澤山あつた。自らが見たいと欲することしか見ない。
私が自由にした人々が再び私に剣を向けることになるとしても、そのようなことには心を煩わせたくない。何者にもまして私が自分自身に課しているのは、自らの考えに忠実に生きることである。だからほかの人々もそうあって当然と思っている。
またユダヤ人についての考察もなかなか的を射てゐる。一部を要約すると以下のやうになる。虐げられた民族は、自衞本能が發達せざるを得なかつた故に柔軟性が喪われて頑なになる。そして、過酷な現實を生き拔く必要から夢に頼りやすい。メシア思想がこれに當たる。
讀みやすい文章なので讀んでみる価値有りである。
友人の作つたサイトを見た。彼はOperaが上手くCSSを解釈してくれないといつてゐた。彼のスタイルシートには單位が拔けてゐた。物理學科の學生としては致命的なミスだと思ふのだが…。
紺屋の白袴、醫者の不養生、物理學者の單位拔け。